サッカーの用語・戦術と技術・ルールの掲載
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黄金のカルテット(おうごんのカルテット)または黄金の四人組(おうごんのよにんぐみ)とは、ブラジルのサッカー選手であるトニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテス、ジーコの四人の総称である。


■黄金のカルテット

四人共に世界サッカー史上でも屈指の評価を得ているMFであり、その四人がブラジル代表として形成した中盤の豪華さを表す語として、他国メディアが羨望をこめて使用し浸透した通称。

1982年スペインW杯では、テレ・サンタナ監督率いるブラジル代表を優勝候補筆頭に挙げる声が多かった。なぜならブラジル代表は、黄金のカルテットを擁していたからだ。しかし、二次リーグで同大会を制するイタリアに3vs2のスコア(パオロ・ロッシのハットトリック)で敗れ、優勝はならなかった。 それでも予選リーグで見せた高い攻撃力・華麗なテクニックは多くのサッカーファンを魅了し、いまもって「ブラジルサッカー史上、最も多くの人々を魅了したチーム」と称されている。と同時に、最も前評判がいいチーム、面白いサッカーをしたチームが勝つとは限らない、ということの代表例として挙げられることも多い。

ただし、この中盤の核であったジーコ自身はこの「黄金の中盤」を「確かに技術的には黄金だった。しかし、コンビネーションを煮詰める時間がなく、今でもこの中盤は失敗作と言っていいものと思っている」とインタビューで答えている。また同じインタビューにおいて、その後悔が監督としての指導法に影響(中盤においてコンビネーションを熟成する事を最重要に考えること)を与えている、とも語っている。

因みにジーコは現役生活の晩年住友金属、鹿島アントラーズでプレーした後日本代表監督に就任、ファルカンも日本代表監督、トニーニョ・セレーゾは鹿島アントラーズの監督を勤めるなど、ソクラテスを除く三人は日本サッカー界との縁が深い。


■カルテット・マジコ(魔法の4人組)

2006年の時点でブラジル代表チームはロナウド、ロナウジーニョ、アドリアーノ、カカー、ロビーニョの5人から攻撃的MFとFWあわせて4人を起用して、これをQuarteto Magico(カルテット・マジコ=魔法の4人組)と呼んでいる。ちなみに5人全員を起用した場合はQuintet Magico(クインテット・マジコ=魔法の5人組)になる。しかし、これを採用するとチームバランスが異様なまでに前がかりになってしまう上、5人のプレーエリアは重なっている部分が多いので、それぞれの持ち味を消してしまう危険性が高いので採用される可能性はほとんど無いだろう。現状ではロビーニョが控えに回ることが多いので、ロビーニョを除いた4人をカルテット・マジコとする見方が一般的である。 この4人組もドイツW杯本大会ではほとんど本領を発揮できずに、ベスト8で敗退した。


■銀の四人組

この「黄金の四人組」とよく引き合いに出されるものとして、1982年スペイン大会・そしてメキシコ大会でのフランス代表チームの中盤を指した「銀の四人組」がある。ミシェル・プラティニ、ジャン・ティガナ、アラン・ジレスの所謂「三銃士」がいることはどちらの大会にも共通である。スペイン大会時は、これにベルナール・ジャンジニを加えた四人が、メキシコ大会時には引退したジャンジニに代わってルイス・フェルナンデスを加えたメンバーが、それぞれこの呼び方をされることとなった。

この銀の四人組もまた、ワールドカップで優勝することは出来なかった。


■日本の黄金のカルテット

ブラジルの黄金の中盤にならって名づけられたのが日本の黄金のカルテットである。そのメンバーは稲本潤一、小野伸二、中村俊輔、中田英寿の四人。日本代表のジーコ監督就任後初試合のジャマイカ戦で日本を代表するこの四人のMFが初めて同時にピッチに立ち、大きな注目を集めた。しかし、2004年以降中田、稲本が怪我で長期離脱した他、代表のシステムも変化していき、日本版黄金のカルテットは死語になりつつある。一部ではスター選手のスターシステム的扱いを好むテレビ・新聞などマスコミが過剰に騒いだ結果独り歩きした語である、という見方もある。

2004年4月チェコ代表に勝利、6月にはイングランド代表と引き分け大躍進を遂げた。しかし、チェコ戦、イングランド戦に中田の姿はなく、イングランド戦では試合終了間際に稲本が相手選手とぶつかり骨折(左足腓骨)してしまうというアクシデントが起こった。また、小野も怪我で離脱する事が多く、なかなか四人を同時に召集する事ができずにいた。その間に、国内組の小笠原、福西らが頭角を現し始める。そのため世間では、もう黄金の中盤の復活は難しいと見做されていた。しかし、ワールドカップアジア最終予選イラン戦(アウエー)では中田英寿のケガからの復調もあって、誰もが黄金の中盤の復活を予想した。しかし、そこには稲本の姿はなく、福西が出場し黄金の中盤復活には至らなかった。ジーコ監督は「DF・田中誠が累積警告で出場できないためのもので一時的なものだ」と話している。 本大会でも4人が同時にピッチに立つ事はなく、チーム自体も予選リーグで敗退した。

ちなみに、ジーコJAPAN初戦の2002年10月26日ジャマイカ戦、最終戦の2006年6月23日W杯ブラジル戦、共にスタメン出場を果たしたのは全メンバーの中でも中田、中村、稲本の三選手だけである。



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