サッカーの用語・戦術と技術・ルールの掲載
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デットマール・クラマー(Dettmar Cramer、1925年4月4日-)は、ドイツ・ドルトムント出身の元サッカー選手・サッカー監督。FIFAのコーチとしても活躍し、世界70ヶ国以上で指導にあたった。

日本代表の基礎を作った事から「日本サッカー育ての親」と呼ばれる。


■デットマール・クラマーの経歴

▽選手としては、ドイツ国内の複数のクラブでプレーしたが、怪我のため選手生命は短かった。1951年に引退後はコーチ業への道に進む。

▽1960年、日本サッカー協会の依頼により、東京オリンピックを控えた日本代表の指導のために来日(監督としてではなく、コーチとしての来日)。当時の日本代表はリフティングも正確にできなかったので、基本練習を徹底的に教え込んだ。この当時の教え子に釜本邦茂や杉山隆一らがいる。高い向上心を持ちながら、指導者に恵まれていなかった日本代表は、クラマーの指導により、東京オリンピックで強豪アルゼンチン代表を退けベスト8の快挙を成し遂げる。

▽1964年、東京オリンピックを終え、西ドイツに帰国。

▽1967年、FIFA公認のコーチとなり、世界各地でサッカーの指導にあたる。

▽1968年、日本代表がメキシコオリンピックで、開催国のメキシコ代表を2-0で退け銅メダルを獲得する。クラマーに教えられた技術や哲学と、海外サッカーに聡明な岡野俊一郎の戦術指導、そして長年変わらぬメンバーで培ったチームワークの勝利であった。

▽1969年、日本にて「FIFAコーチングスクール」を開講。アジアの12協会から42人の受講者が集まった。

▽1974年、FIFAコーチを引退。

▽1975年、バイエルン・ミュンヘンの監督となる。同年、UEFAチャンピオンズカップで優勝。

▽1976年、UEFAチャンピオンズカップに2度目の優勝。その後も監督として、いくつかのクラブチームを率い、監督引退後は指導者の育成を行なっている。

▽2005年 日本サッカー協会が制定した表彰制度「日本サッカー殿堂」2005年第1回受賞者になる。


■デットマール・クラマーのエピソード

▽1974-75のチャンピオンズカップを制覇した時に記者から「あなたにとって今が人生で最高の瞬間ではないですか?」と聞かれ、「いいえ、最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得した時です。私はあれほど死力を尽くして戦った選手達をかつて見たことがない。」と答えた。日本サッカーの父と呼ばれるクラマーの日本サッカーに対する愛情が伝わってくるエピソードである。

▽野津謙がクラマーの招聘を決心した理由は、デュースブルクのスポーツシューレのクラマーの部屋に掲げてあった「ものを見るのは魂である。眼それじたいは盲目である。ものを聞くのは魂である。耳それじたいは聾である」という自筆の額を見て感激したためという。

▽ドイツでのクラマーの評価は、サッカーのコーチではなくプロフェッサーとの事である。






Wikipediaより出典 - Article - History - License:GFDL
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