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マラカナンの悲劇(マラカナンのひげき)は、1950年7月16日、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで行われたFIFAワールドカップブラジル大会決勝リーグ第3戦、ブラジル対ウルグアイの試合で、ブラジルが優勝を逃したことを指す通称である。


■「マラカナンの悲劇」の経過

◇決勝リーグ第2戦まで
開催国として悲願の初優勝を目指すブラジルは、1次リーグを2勝1分で突破した。

決勝リーグはブラジルの他、ウルグアイ、スウェーデン、スペインが進出。ブラジルはスウェーデンを7 - 1、スペインを6 - 1の大差で破り、最終戦でウルグアイに引き分け以上であれば優勝が決まる。

◇最終戦
ブラジルVSウルグアイの会場マラカナン・スタジアムには20万人を越える観客が集まった。この試合ブラジル代表は初めて白のホームユニフォームを着て挑んだ。

後半開始2分にフリアカのゴールでブラジルが先制しブラジルの優勝が決まったかと思われたが、後半21分にスキアフィーノが同点ゴール、後半34分にギジャが逆転ゴールを決め、ウルグアイが2度目の優勝となった。

会場は水を打ったように静まり返り、自殺を図る者まで現れた。結局2人がその場で自殺し、2人がショック死、20人以上が失神し、ブラジルサッカー史上最大の事件となった。ブラジル代表はこの後ユニフォームを現在の国旗と同じカナリア色に変更し、2002 FIFAワールドカップの決勝戦まで、白のユニフォームの着用を避け続けた。

人種差別がまだまだ激しかった当時のこと。敗北したことによる観客の憎悪は出場していた3人の黒人選手に向けられ、特にGKのバルボサは死ぬまで疫病神扱いされてしまった。

この日マラカナンでブラジルの敗戦を目の当たりにし、自らの力でブラジル代表を世界一にすると誓った少年、エドソン・アランテス・ド・ナシメントが、若き日のペレである。



Wikipediaより出典 - Article - History - License:GFDL
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