サッカーの用語・戦術と技術・ルールの掲載
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ジネディーヌ・ジダン (Zinedine Yazid Zidane, 1972年6月23日 - )は、フランス国籍の元サッカー選手。2006年7月9日のドイツW杯決勝(対イタリア戦)が現役最後の試合になった。

アルジェリア移民の二世で、マルセイユ北部郊外のラ・カステラン地区の貧困な団地で育った。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー(トップ下)。愛称「ジズー」「将軍」(同じフランスのミシェル・プラティニもかつて将軍と呼ばれており、初期の愛称は「プラティニ2世」)。なお一部の雑誌などでは、より原音に近い「ジダヌ」という表記がなされることもある。



■ジネディーヌ・ジダンの経歴

◇1989年5月20日、フランスのASカンヌでトップチームデビューを果たす。

◇1992年7月、カンヌの2部降格に伴いFCボルドーに移籍。

◇1994年8月17日、チェコ戦でフランス代表デビュー、後半18分からの途中出場ながら2得点を挙げる。

◇1996年6月、欧州選手権出場。チームはベスト4に進んだが、自身は直前の交通事故の影響で目立った活躍は出来ず。

◇1996年7月、イタリアのユヴェントスに移籍。

◇1996年11月26日、トヨタカップ優勝。彼にとって初めてのメジャータイトルとなる。

◇1998年、地元フランスで開催されたFIFAワールドカップ・フランス大会に出場。決勝戦ではヘディングで2得点をあげるなどの活躍。フランスの初優勝に大きく貢献し、世界的スターとなる。

◇1998年、欧州最優秀選手,FIFA最優秀選手賞を受賞。

◇2000年、欧州選手権優勝。2度目のFIFA最優秀選手賞受賞。

◇2001年7月、史上最高額となる7,500万ユーロ、約88億円(推定)の移籍金でユヴェントスからスペインのレアル・マドリードに移籍。この記録は未だ破られていない。

◇2002年、チャンピオンズリーグ優勝。ファイナルでは決勝点となった伝説的なボレーシュートを叩き込む。

◇2002年、FIFAワールドカップ・日韓大会では、大会直前の韓国代表との親善試合で発症した左太もも肉離れの影響で、包帯を巻いて強行出場したデンマーク戦1試合の出場にとどまり、フランス代表もグループリーグで敗退。

◇2002年、日清食品・カップヌードルのCMモデルとして出演(「ジダンが地団駄」編)。

◇2003年、レアル・マドリーでの活躍が評価され自身3度目となるFIFA最優秀選手賞受賞。

◇2004年に行われた欧州選手権では3得点を挙げるも、チームはベスト8で敗退。

◇2004年8月12日、フランスのテレビ番組にて体力の限界を理由に代表引退を表明。

◇2005年8月3日、ドメネク監督の説得を受け、クロード・マケレレ、リリアン・テュラムと共にフランス代表に復帰することを自身のウェブサイトで表明。パトリック・ヴィエラからキャプテンマークを譲り受け、予選敗退危機にあったフランスをFIFAワールドカップ・ドイツ大会に導く。

◇2006年4月26日、体力的な衰え等を理由にドイツW杯限りで現役を退く意向を発表した。

◇2006年5月14日、レアル・マドリードでの最後の試合に出場。契約を1年残しクラブから引退した。

◇2006年7月9日、FIFAワールドカップ・ドイツ大会決勝の延長戦後半、マテラッツィに対する頭突き行為によりレッドカードを受け、退場。チームも準優勝に終わり、ジダンのサッカー人生は思いもよらぬ形でその幕を閉じた。しかし大会中の活躍が評価され、カンナヴァロらを抑えて本大会のMVPに輝いた。


■フランスの神様

サッカー史上最も偉大な選手の一人と評価されており、90年代後半から2000年代前半までの全盛期においては「世界最高のサッカー選手」と称えられた。FIFA最優秀選手賞3度、バロンドール、ゴールデンボール賞などの個人タイトルに加え、ワールドカップ、ユーロ(欧州選手権)、トヨタカップ、チャンピオンズリーグなどの主要タイトルをすべて制覇。アルジェリア移民2世という彼自身の出自も手伝って、移民国家の象徴としてフランスではスポーツ選手の枠を超えた絶大な人気を誇る。


■ジネディーヌ・ジダンのプレイスタイル

パス、ドリブル、トラップといったボールを扱うテクニックは超一級品で、シュート、フリーキックの精度も高く、ボールコントロールに関しては歴代の名選手の中でも別格。185cmの恵まれた体格の上体を生かして懐深くボールをキープ、両足を巧みに使いながら複数の相手DFをかわし、抜群の視野の広さを持って前線へ正確なパスを送るプレーが彼の真骨頂。まるで踊っているかのような優雅なボールキープで試合を支配する様は指揮者を意味する「マエストロ」と評される。ジダンの周りだけ違う時間が流れている様に見える独特のボールタッチや、殆ど倒れそうな状態からでも正確なパスを送る事のできるバランス感覚など、人間技とは思えないほどのプレーをすることから、宇宙人とのニックネームもつけられた。世界的スターが集まった2000年代前半のレアル・マドリードでも、彼の存在感は際立っており、多くの評論家・解説者が「ジダンのプレーは次元が違う」「彼は別の惑星から来た選手なのか」とため息を漏らしていた。 見ている側からは上手くて華麗といった評価がほとんどであるが、実際に戦った選手からは特にフィジカルの強さを強調する感想が多く、ボールをとられないためにテクニックだけでなく当たりの強さも持ち合わせていることが彼のプレーの下支えとなっている。

得点力に関しては歴代名選手と比べると物足りない部分があるとされ、2006年1月15日のセビージャFC戦でのハットトリックはプロ17年のキャリアを通じ初めてのことであった。 一方で、ジダンのプレイスタイルはストライカーとは異なっており、一概に過去の名選手との得点力を比較することはできないとする意見もある。

彼の得意技「ルーレット」とは、ドリブルの途中、両足の裏でボールを転がしながら一回転をし、プレスに来た相手選手をかわす技。彼が考案した技ではないが、トッププレーヤーでこの技を試合中に頻発させるのは彼以外にいないため、ジダンの代名詞ともなっている。ただし彼自身、必要な場合に使うのであって相手選手に失礼になるような使い方をしてはならないと発言をのこしている。 ちなみに、彼のルーレットを特別にマルセイユ・ルーレットと呼ぶのは日本だけである。

2006年ドイツW杯では現役引退するということで日本でも注目を集め、マルセイユ・ルーレットを知らなかった人にも有名になったが最近では、マルセイユ・ルーレットは日本人がジダンの出身地からもじった名前だとは知らずにそれが正しい名前と思い込みマルセイユ出身でない全く別の国の選手がルーレットをする時にもマルセイユ・ルーレットと言ってしまう傾向がある。


■ジネディーヌ・ジダンの大舞台での勝負強さ

また、大きな大会になるほど力を発揮するのも彼の特徴である。 ワールドカップ通算12試合5得点、欧州選手権通算13試合5得点。W杯決勝通算3得点はペレ・ババ・ハーストと並び史上最多タイ、また2大会に渡る決勝戦でのゴールはペレ・ババ・ブライトナーに続き史上4人目。

1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会ブラジルとの決勝戦で、ジダンはCKからのヘディングで2得点を挙げる。とりわけ、2点目はブラジルの守備の要であったドゥンガを弾きとばして得点を決めた。ブラジルはジダンはヘディングが苦手ということでほとんどノーマークであった。

また、2002年チャンピオンズリーグ決勝のレバークーゼン戦でのゴールは、彼のテクニック・勝負強さを最も物語っているプレーであり、選手ジダンのハイライトとも言える。1対1の同点で迎えた前半終了間際、ロベルト・カルロスが左サイドから送った山なりのボールを、ペナルティエリアの外から左足でダイレクトボレーシュート。ボールは綺麗な弧を描きゴール左上隅に突き刺さった。サッカー史上最も美しいゴールのひとつと言われるこのボレーが決勝点となり、ジダンはキャリア初のチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた。

EURO2004グループリーグ・イングランド戦ではロスタイムに2ゴールを決め逆転勝利に貢献。

現役最後の大会となったW杯ドイツ大会でも、低調だったグループリーグから一変、決勝トーナメントでは全盛期を彷彿とさせるプレーでフランスを決勝にまで導いた。準々決勝ブラジル戦ではアンリの決勝ゴールをアシストし、この試合のMVPに選ばれた。これまでジダンのアシストからアンリがゴールを決める場面は、共に出場したフランス代表55試合で1つもなく、メディアからの批判を受けていたが、これが初めてにして唯一のアシストとなった。


■ジネディーヌ・ジダンの人間像

◇温和な性格
敬虔なイスラム教徒であり、パーティーなど華やかな生活を好まない。 インタビュー等で見られる、はにかみ屋で静かな話し方から、謙虚で控えめな性格と評される。 チャリティー活動も熱心に行っており、人望も厚く、ピッチの外では非常に温厚なことで知られている。 また、子供時代からのアイドルは、元マルセイユのエンツォ・フランチェスコリ(ウルグアイ代表)。子供にエンツォの名前を付けるほど尊敬しており、選手として初めて対戦した1996年トヨタカップではユニフォーム交換をし、非常に感激した様子であった。


◇もうひとつの顔
しかしながら、試合において、暴力行為により警告を受けたり退場になったりした回数は少なくない。キャリアを通じて受けたレッドカードは通算14枚。 有名なところでは、1998年フランスW杯でサウジアラビアの選手を両足で踏みつけ(2試合出場停止)、ユベントス時代の2000年チャンピオンズリーグではハンブルガーSVの選手へ頭突き(5試合出場停止)、レアル・マドリード時代の2004年リーガ・エスパニョーラではムルシアの選手に対して頭突き、また、2005年のリーガではビジャレアルの選手に対して突然平手打ちをするなど、瞬間的に頭に血が上りやすいことでも知られている。

2006年ドイツW杯の韓国戦で警告累積、次の試合が出場停止になった際、スタジアム内の扉を蹴り壊した。通常は修繕されるものだが、施設側は「サッカー史上最も偉大な選手の一人に蹴られた扉」ということでそのまま保存することに決めた。

また、引退後の東南アジアで行われたチャリティマッチに参加したが、中国からのチャリティマッチのオファーを「中国人は汚いプレーをする、もう中国でサッカーをしたくはない。」と言い拒否した。


◇2006 FIFAワールドカップ(ドイツ)決勝戦
現役最後の試合となったイタリアとの決勝戦延長後半5分、相手DFマテラッツィの胸元に頭突きを喰らわせて一発退場。その直前に、ジダンとマテラッツィは2,3の言葉を交わしており、両者ともその内容について沈黙を続けたため、世界中で様々な憶測が飛び交い、マテラッツィによる人種差別発言の有無も取り沙汰され、社会問題となった。7月12日夕方(仏時間)フランスのTV局カナル・プリュス及びTF1によるインタビューでジダンは事件後初めて沈黙を破り、「母と姉を傷つけるひどい言葉を繰り返された」と語った。また自身の行為について、「20億、30億人が見守る中での私の行為は許されないもので、特にテレビを見ていた子供たちに謝りたい」と謝罪の意思を述べたものの、「W杯決勝の、しかもサッカー人生の終了10分前に面白半分にあんなことをすると思いますか?」「後悔はしていない。後悔をすれば、彼(マテラッツィ)の行動を認めることとなってしまう」と語り、頭突きをした行為自体は後悔していない事も強調した。7月20日、FIFAの規律委員会は、出場停止3試合及び罰金7500スイスフラン(処分当時の円換算で約70万円)の処分を決めた。ただし、出場停止処分については、彼自身がすでに現役引退を表明しているため、社会奉仕活動3日間の義務付けとなった。


■ジネディーヌ・ジダンの所属チーム

1988年-1992年 - カンヌ(フランス) 61試合6得点
1992年-1996年 - ボルドー(フランス) 140試合28得点
1996年-2001年 - ユヴェントス(イタリア) 151試合23得点
2001年-2006年 - レアル・マドリード(スペイン) 155試合38得点


■ジネディーヌ・ジダンの生涯成績

クラブ通算 507試合95得点
代表通算 108試合31得点




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