サッカーの用語・戦術と技術・ルールの掲載
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ローター・マテウス(Lothar Matthäus、1961年3月21日 - )は、ドイツ出身の元同国代表サッカー選手(DF・MF)。現在はオーストリア・レッドブル・ザルツブルクのヘッドコーチ。

ディエゴ・マラドーナと同世代でタイトル獲得の実績はマラドーナに遜色がない。天才と呼ばれ華やかな活躍をするマラドーナとは対照的に、こつこつと実力を伸ばしていった。フランツ・ベッケンバウアーと同じようなポジションの変遷を辿っている(MF・DFのほぼ全てのポジションをこなせ、近代サッカーに最もマッチしている選手との評価もある)。MFでスタートし、後にリベロになる。'86W杯では決勝戦でマラドーナのマンマーク役をする。マラドーナ自身には仕事をさせなかったが別のところからアルゼンチンは得点する。そして、マテウスはマラドーナのマークから外れドイツチームは反撃に出たが、一時は同点に追いついたものの最後はマラドーナのスルーパスから決勝点を決められ結果はアルゼンチンの勝利に終わった。その後もプレーの幅、安定感を伸ばし、強烈なキャプテンシーでチームを引っ張った。1990年のイタリアW杯でアルゼンチンに雪辱を果たす。

1990年頃まではその強靭な肉体と正確なパスを送る能力を生かしセンターハーフとして、文字通り中盤の王様として君臨していたが、インテル・ミラノ時代の故障を経て、1993~1994年頃リベロにコンバート。スピードや運動量は衰えたものの、最終ラインからの正確なフィードでマテウス・スタイルとも呼べるプレーを確立。 1996年の欧州選手権時に当時のドイツ代表の中心選手クリンスマンと意見の相違から揉め、代表から外される。 クリンスマンとはその後も犬猿の仲。

現役引退した後、2001年9月にラピド・ウィーン(オーストリア)で監督としてのキャリアをスタートさせ、ハンガリー代表の指揮を執った。その後ブラジルのクラブであるアトレチコ・パラナエンセを指揮したが、生活環境の不一致ですぐに帰国した、と表向きに報道されているが、実際には報道陣とトラブルを起こしサッカー協会より1ヶ月の出場停止処分をくらい、それに嫌気がさして出て行ったようである。

2006年より、レッドブル・ザルツブルクのヘッドコーチを務める。


■ローター・マテウスの所属クラブ

FCヘルツォーゲンアウラッハ(西ドイツ)
ボルシアMG(西ドイツ)1979-1984
バイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)1984-1988
インテル・ミラノFC(イタリア)1989-1992
バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)1992-2000
ニューヨーク・ニュージャージー・メトロスターズ(アメリカ合衆国)2000-2001


■ローター・マテウスの指導経歴

ラピド・ウィーン
パルチザン・ベオグラード
ハンガリー代表
アトレチコ・パラナエンセ
レッドブル・ザルツブルク (ヘッドコーチ)


■ローター・マテウスの経歴・獲得タイトル

▽代表

ヨーロッパ選手権 EURO1980優勝
1982年 スペイン大会準優勝
1986年 メキシコ大会準優勝
1990年 イタリア大会優勝、主将を務める。
ドイツ代表最多の150試合出場
1982年 スペイン大会以降5大会連続本大会出場しており、W杯通算25試合出場は最多記録である。

▽クラブ

ドイツ・ブンデスリーガ優勝 6回 (1985、1986、1987、1994、1997、1999)
ドイツカップ優勝 2回 (1986、1998)
ドイツカップ優勝 1回 (1984)
ドイツリーグカップ優勝 2回 (1998、1999)
UEFAチャンピオンズリーグ準優勝 2 回 (1987、1999)
UEFAカップ優勝 2回 (1991、1996)
スクデット優勝 1回 (1989)


■ローター・マテウスの個人タイトル

欧州年間最優秀選手(1990年)
FIFA最優秀選手賞(1991年)



Wikipediaより出典 - Article - History - License:GFDL
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