サッカーの用語・戦術と技術・ルールの掲載
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フランツ・アントン・ベッケンバウアー(Franz Anton Beckenbauer, 1945年9月11日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)・ミュンヘン出身の元サッカー選手。現在はバイエルン・ミュンヘン会長、およびドイツサッカー協会副会長を務める。選手時代のポジションは主にディフェンダー(リベロ)、守備的ミッドフィールダー。2006 FIFAワールドカップドイツ大会では組織委員長を務めた。ドイツ出身だが、オーストリア・チロル州に移住、1990年代前半にはオーストリア国籍を取得した。

攻撃に参加するスイーパーとしてフットボールに革新をもたらした。ピッチ上で味方の選手達を操るその威風堂々とした風格と、『神よ、皇帝フランツを守り給え』に詠われたオーストリア帝国皇帝・フランツ1世と同じファーストネームであることから、der Kaiser(皇帝)と呼ばれた。

同世代の最大のライバルにオランダのヨハン・クライフがいる。

また、キャプテンと監督の両方で母国をFIFAワールドカップの優勝に導いた唯一の人物である(選手と監督としてはブラジルのマリオ・ザガロが1人目)。


■フランツ・ベッケンバウアーのプレイスタイル

ベッケンバウアーというフットボーラーをリベロ・システム抜きに語ることは出来ない。いわば「攻撃に参加するスイーパー」であるこのポジションは「ディフェンダーは守備の専門」という従来の概念を根底から覆す革新的なものだった。もちろんこのポジションをベッケンバウアーが確立できた背景にはその理論だけでなく、フィジカル重視で守っていた当時のディフェンダーとは明らかに一線を画す、彼の非常に高いテクニックとユーティリティー性があったことは言うまでも無い(彼の名誉を守るためにあえて言っておくと、ベッケンバウアーは史上最もテクニックの高い選手の一人である)。

またその絶大なる守備力の裏には、試合の流れを素早く読む天才的な洞察力があった。常にピッチ全体を見回して危険を素早く察知し、自らの早い動き出しと味方への的確な指示で相手攻撃陣を知らず知らずのうちに網にかけていく。その有機的な組織ディフェンスの完成度は、もはや芸術の粋に達していたと評する者もいる。

1970年代にフットボール界で起こった革命、というとほとんどの人はクライフを中心としたアヤックスやオランダ代表の「トータルフットボール」を挙げるが、バイエルン・ミュンヘンと西ドイツ代表で創り上げられた「リベロ・システム」という理論もこれに匹敵する革命といえる。ただ全世界の目に触れたのが皮肉にも、フィールドの全員が目まぐるしくポジションチェンジを行うダイナミックなオランダ代表のトータルフットボールと同じ1974年のワールドカップであったため、華やかさで見劣りするリベロ・システムは大会の主役となることが出来なかった(オランダ代表が美しさのみならず西ドイツが敗れた東ドイツをはじめ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイといった並み居る南米の強豪国を撃破するという圧倒的な強さを誇ったためでもある)。

バイエルン・ミュンヘンでは長らくリベロの役割を任されていたが、代表では1966年と1970年の2つのW杯で中盤の底(今で言うボランチ)で攻守のバランスを取りながら果敢にゴール前に上がり、チャンスメイクと自らゴールに向かう動きをみせていた。 1971年から代表でもリベロに移り、1972年の欧州選手権と1974年のW杯という2大タイトルの制覇に大きく貢献した。特に1972年の欧州選手権ではギュンター・ネッツァーとの交互ゲームメーク(ダブル司令塔)という時代の最先端の戦術を披露、圧倒的な強さを誇った同大会の西ドイツ代表をドイツ史上最強に推す声も多い。

日本人ストライカーとして名高い釜本邦茂は、かつて対戦したベッケンバウアーの印象について、「どこにもいないと思ったら突然目の前に現れて、次の瞬間にはボールを奪われていた。その動きはまるで「魔人」のようだった」と話している。


■フランツ・ベッケンバウアーの備考

ベッケンバウアーと同じくバイエルン・ミュンヘンに在籍(2002-2006)したミヒャエル・バラックは、ベッケンバウアー後継者との評価も高く、彼のニックネームに準え、「kleiner Kaiser」(小皇帝)と呼ばれることがある。

プライベートでは、2006年6月23日にバイエルン・ミュンヘンで秘書をしていた21歳年下のハイディ・ブルメスターと結婚。ドイツW杯期間中に結婚式を挙げたということで話題になった。ベッケンバウアーにとっては、これが3度目の結婚となる。ハイディとの間には既に2児をもうけていたが、同年に3人目を授かったために、W杯期間中であるにもかかわらず大急ぎで結婚式を挙げた。結婚式当時ハイディは40歳、ベッケンバウアーは61歳であった。ちなみにハイディとの間に生まれた2児、先妻との間に生まれた2児を含めると、5人目の子である。


■フランツ・ベッケンバウアーの所属クラブ

1954年-1958年 SCミュンヘン06
1958年-1977年 FCバイエルン・ミュンヘン
1977年-1980年 ニューヨーク・コスモス(USA)
1981年-1982年 ハンブルガーSV
1983年 ニューヨーク・コスモス


■フランツ・ベッケンバウアーの経歴

1965年9月26日 代表デビュー(対スウェーデン戦)

◆獲得タイトル
▽代表
1972年 - 欧州選手権優勝
1974年 - FIFAワールドカップ西ドイツ大会優勝
1990年 - FIFAワールドカップイタリア大会優勝(監督として)
出場数103試合、14得点

▽クラブ
ブンデスリーガ優勝5回
ドイツカップ優勝4回
UEFAカップウィナーズカップ優勝(1966-67)
欧州チャンピオンズカップ3連覇(1973-74, 1974-75, 1975-76)
インターコンチネンタルカップ優勝(1976)

▽個人タイトル
欧州年間最優秀選手(バロンドール)受賞 2回(1972年、1976年)




Wikipediaより出典 - Article - History - License:GFDL
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