サッカーの用語・戦術と技術・ルールの掲載
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ラウル・ゴンサレス・ブランコ(Raúl González Blanco、1977年6月27日 - )は、スペインのマドリード出身、リーガ・エスパニョーラのレアル・マドリードに所属するスペイン代表のサッカー選手。身長180㎝、体重73㎏。左利き。ポジションはFW、MF。

スペイン代表とレアル・マドリードのエースストライカーであり、それぞれのチームでキャプテンも務める。非凡なフットボールの才能とキャプテンシーを持ち合わせる「スペインの至宝」。


■ラウル・ゴンサレスの経歴

元々はアトレティコ・マドリードのカンテラ出身だが、同チームのユース経営終了に伴い放出され、1992年にレアル・マドリードに移籍した。1994年10月のサラゴサ戦でクラブ最年少記録の17才と4ヶ月でトップチーム・デビュー。以後、クラブのシンボルとして活躍を続けており、1998-1999シーズンと2000-2001シーズンの2度、リーガ・エスパニョーラの得点王(ピチーチ)に輝き、UEFAチャンピオンズリーグでも1999-2000シーズンと2000-2001シーズンに得点王になっている。

2005-2006シーズン、チャンピオンズリーグのグループステージ第2節、オリンピアコス戦で通算50ゴールを記録。歴代1位になった。また、スペイン代表の最多得点記録保持者であり、スペイン代表の800得点目と900得点目を決めたのも彼である。2006年8月15日のアイスランドとの親善試合(0-0)で史上2人目の代表通算100試合出場を達成した。

レアル・マドリードでは国内リーグ制覇だけでなく、UEFAチャンピオンズリーグ制覇(3回)やトヨタカップ勝利(2回)など数多くのタイトルを獲得しているが、ナショナルチームレベルではあまり活躍できていない。そのためか2004年の欧州選手権後はついに国内外から非難が集中し「クラブでは優秀なチームメイトに恵まれている為に活躍出来ていただけ」と批判されることも多い。ここ3シーズンは所属するレアル・マドリードの不調と共にラウル自身の得点数が減っており、2006年10月よりスペイン代表に招集されていない。

家族は、マメン・サンス夫人と息子4人(三男と四男は双子)。長男の名前の「ホルヘ」は彼をトップチームでデビューさせた当時の監督ホルヘ・バルダーノに、次男の「ウーゴ」はラウルのアイドルでレアル・マドリードのストライカーだったウーゴ・サンチェスにそれぞれ因んでいる。

フェルナンド・モリエンテスとは親友であり、レアル・マドリードとスペイン代表で抜群に息の合った2トップを形成していた。2005-2006シーズン、ラウルが負傷していた頃、モリエンテスが所属していたリヴァプールFCのホームスタジアムであるアンフィールドに数回観戦に訪れていた。


■ラウル・ゴンサレスのプレイスタイル

1.5列目のポジションを得意とし、最前線へのラストパスを供給するほか、自身も果敢にゴールを狙う。又、相手ボール時には積極的にプレッシングし、チームへの貢献は計り知れない。特にゴールへの「嗅覚」は並外れたものがあり、ゴール前におけるポジショニングセンスと、方向・角度・体勢を選ばないシュート能力で華麗なゴールを演出する。

ゴールを決めた際に、結婚指輪にキスするパフォーマンスは有名であり、韓国代表のアン・ジョンファンら多くの模倣者を生んだ。

レアル・マドリードでのカペッロ監督時代には左サイドハーフとしてもプレーするなど、戦術的柔軟性があり、運動量豊富で勤勉。ゴールセンス以外にもドリブル、パス、ディフェンスなど全て平均以上にこなす。

一時期には、クライフに「選手として十点満点中十点は取れないが全ての要素において九点が付けられる選手」とクライフらしい独特の言い回しで評価を受けた。

ロナウドがレアル・マドリードに移籍して以来1.5列目でのプレーが増え、ストライカーとしての能力に陰りが見えるようになった。しかしながら、UEFAチャンピオンズリーグでは、非常に得点率が高く、ラウールの得点能力の高さはまだまだ衰えてないといえるだろう。


■ラウル・ゴンサレスの所属クラブ

アトレティコ・マドリード ユース 1990 - 1992
レアル・マドリード ユース 1992 - 1993
レアル・マドリードC 1994 - 1995
レアル・マドリードB 1994
レアル・マドリード 1994 -


■ラウル・ゴンサレスの代表

102試合 / 44得点(歴代最多得点)

1998年 1998 FIFAワールドカップ・フランス大会 - 1次リーグ敗退
2000年 EURO2000・白蘭大会 - ベスト8
2002年 2002 FIFAワールドカップ・日韓大会 - ベスト8

決勝トーナメントに進出するも、自身が負傷欠場した準々決勝の韓国代表戦で無念のPK戦負けを喫した。


2003年11月、フェルナンド・イエロの持っていたスペイン代表の歴代得点記録を更新。 また、イエロのスペイン代表チーム引退に伴い、キャプテンを引き継いだ。

2004年 EURO2004・ポルトガル大会 - 1次リーグ敗退
チームは決勝トーナメントに進めなかったが、ギリシャ代表戦でフェルナンド・モリエンテスのゴールをアシストした。

2006年 2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会 - ベスト16
グループリーグを全勝で1位通過するも、決勝トーナメント1回戦でドイツ大会で引退を表明したジダン率いるフランス代表と激突し敗れた。


■ラウル・ゴンサレスのタイトル

▽チーム
1994-1995 リーガ・エスパニョーラ 優勝
1996-1997 リーガ・エスパニョーラ 優勝 
1997-1998 スペイン・スーパーカップ 優勝
1997-1998 UEFAチャンピオンズリーグ 優勝 
1998-1999 インターコンチネンタルカップ 優勝 
1999-2000 UEFAチャンピオンズリーグ 優勝
2000-2001 リーガ・エスパニョーラ 優勝
2001-2002 スペイン・スーパーカップ 優勝
2001-2002 UEFAチャンピオンズリーグ 優勝 
2002-2003 インターコンチネンタルカップ 優勝
2002-2003 リーガ・エスパニョーラ 優勝
2002-2003 UEFAスーパーカップ 優勝
2003-2004 スペイン・スーパーカップ 優勝 

▽個人
1994-1995 最優秀新人選手
1996-1997 リーガ・エスパニョーラ 最優秀スペイン人選手
1998-1999 リーガ・エスパニョーラ 最優秀スペイン人選手・得点王(25得点)
1999-2000 リーガ・エスパニョーラ 最優秀スペイン人選手
1999-2000 UEFAチャンピオンズリーグ 得点王(10得点)
2000-2001 リーガ・エスパニョーラ 最優秀スペイン人選手・得点王(24得点)
2000-2001 UEFAチャンピオンズリーグ 得点王・最優秀FW(7得点)
2001-2002 リーガ・エスパニョーラ 最優秀スペイン人選手
2002-2003 UEFAチャンピオンズリーグ 最優秀FW



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