サッカーの用語・戦術と技術・ルールの掲載
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デニス・ベルカンプ(Dennis Bergkamp、1969年5月10日 - )は、オランダ・アムステルダム出身の元同国代表サッカー選手(FW)。

華麗かつ絶妙なプレーで知られる稀代の天才プレイヤー。最前線ではなくいわゆる1.5列目に陣取り、ドリブル、ラストパス、シュートのいずれにも秀でた。ロベルト・バッジョにも似たその全能性が、「世界最高のセカンドトップ」とも称される所以である。そのパワーと冷静さによる正確な決定力から「アイスマン」のニックネームを持つ。特に浮き球のボールタッチに関しては天下一品の技術を誇り、後ろから飛んできたボールのトラップはジネディーヌ・ジダン、バッジョに並び世界随一の精度とされる。

FAがプレミアリーグ発足10年を記念して企画したベストゴール特集で2位を獲得したことがある(ニューカッスル戦でブランブルを鮮やかな振り向きトラップでかわして決めたゴール)。


■デニス・ベルカンプのプレースタイル

彼は優れた芸術家であると同時に傑出した科学者でもあった。誰よりもボールの性質を理解し、ソックスとシューズに覆われた崇高な絵筆で球体のあらゆる可能性を示した。


■デニス・ベルカンプの略歴

ヨハン・クライフに才能を見出され1986年、17歳でトップチームにデビュー。アヤックスで1990年から3年連続得点王に輝き、リーグ優勝、UEFAカップ優勝などに貢献。 その後、インテル(セリエA)に移籍したが能力を発揮できず、1995年にアーセナル(FAプレミアリーグ)に移籍しチームの中心として活躍。97~98シーズン、01~02シーズンの二冠等に貢献。1998年フランスワールドカップのアルゼンチン代表戦や01年プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッド戦など伝説的なゴールを数多く挙げ、パトリック・クライファートが2003年に更新するまでオランダ代表の最多得点記録も保持していた。ワールドカップには、1994年アメリカ大会、1998年フランス大会の計12試合に出場し、6得点を記録している。前述の1998年フランスワールドカップ準々決勝アルゼンチン戦の見事なトラップからのゴールは、オランダの新聞によって、同国の歴史的画家レンブラントのタッチに例えられ、「まるでレンブラントの筆さばきのようだ」と評された。05-06シーズン終了をもって引退を表明した。引退試合は、自身がプロデビューを果たしたチームであるアヤックス・アムステルダムとアーセナルの対戦で行われ、オランダの往年の名選手であるヨハン・クライフ、現オランダ代表監督マルコ・ファン・バステン、現FCバルセロナ監督フランク・ライカールト、アーセナルからも、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストや、パトリック・ヴィエラなど、現役の選手だけではなく、数多くのサッカー関係者がこの日のために駆けつけた。惜しくもこの試合ではゴールを決めることはできなかったが、随所で彼らしいイマジネーション溢れるプレイを魅せ、引退の花道を飾った。なお、この試合はアーセナルの新スタジアムの杮落としとして行われた。


■デニス・ベルカンプのエピソード

▽極度の飛行機恐怖症という弱点を持つことでも有名であり、ヨハン・クライフのニックネーム、「Flying Dutchman(空飛ぶオランダ人)」(リヒャルト・ワーグナーの歌劇「Der fliegende Holländer(彷徨えるオランダ人)」に由来する)をもじって「Non-flying Dutchman(飛ばないオランダ人)」とされた異名も持つ。飛行機恐怖症の理由として、「乗っていた飛行機が爆破予告の対象になり、それがトラウマになっている」「機中で同行記者に不安を煽る事を言われた」「自分が乗る予定だった飛行機に乗った友人が亡くなった」等の諸説がある。この為、遠隔地への遠征には陸路でしか参加できない事がチーム監督を悩ませる。アメリカ合衆国で開催された1994年アメリカワールドカップでは船で渡米し、EURO2000後の代表引退の一因はこの飛行機恐怖症であるとも言われている(2002 FIFAワールドカップの開催国であった日本と韓国は陸路・海路での移動が極めて困難な極東の地にあり、飛行機に乗ることが不可避であったのが、こう言われる理由だろう)。ベルカンプを欠いたオランダ代表は2002年ワールドカップ欧州予選で敗退した。ベルカンプの存在の大きさが改めて証明された。

▽デニスというファーストネームは、マンチェスター・ユナイテッドの名FW、デニス・ローにあやかって名づけられた。"n"が一つ多いのは、オランダで"Denis"は女性名と間違われる恐れがあるとの理由で市役所が認可せず、父親が追加したため。

▽インテル所属時代に、当時の主将ジュゼッペ・ベルゴミに「もっとも失望した選手」と言われた事がある。成績面もさることながら、ベルゴミがチームに馴染ませようと何度も食事に誘ったのにも関わらず、ほとんど参加しなかったこともその印象の要因と思われる。

▽インテル在籍2年間は全く活躍できず、獲得時の高額の移籍金を引き合いに「史上最高額のガラクタ」と揶揄されたこともある。インテル移籍失敗の原因として、まず性格面において元来社交的な性格ではないことで知られ、そのためイタリア移籍後もイタリア語をほとんど話せずチームに馴染めなかったこと、また戦術面において当時のインテルの守備的な戦術が、彼がそれまでプレーしてきたアヤックスの超攻撃的な戦術と全く異なったため、彼の特長が発揮できる環境になかったことなどが挙げられる。その後、イングランドのアーセナルに移籍した後の成功は、以上の問題がクリアされたことも大きな要因といえよう。言語に関してはオランダ人である為、元々英語に堪能であり、戦術に関してもアーセナルはインテルより遥かに攻撃的であった。

▽サッカー漫画として、日本だけでなく世界的に有名なキャプテン翼の登場キャラクターであるカルロス・サンターナが得意技としている「サンターナターン」という技を実際の試合中に披露したことがある。


■デニス・ベルカンプの所属クラブ

ビルスクラハト/SNLアムステルダム 1977-86
アヤックス・アムステルダム 1986-93
インテル 1993-95
アーセナル 1995-2006
2006年現役引退


■デニス・ベルカンプの代表歴

代表デビュー:1990年9月26日 イタリア戦
代表キャップ:79試合
得点記録:37得点(歴代2位)
2000年8月10日に代表引退を発表




Wikipediaより出典 - Article - History - License:GFDL
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