サッカーの用語・戦術と技術・ルールの掲載
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ロナウジーニョ・ガウーショ(Ronaldinho Gaúcho, 本名 ロナウド・デ・アシス・モレイラ:Ronaldo de Asiss Moreira, 1980年3月21日 - )はブラジル・ポルト・アレグレ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィルダー(主に1.5列目)。2006年現在、スペインのFCバルセロナに所属している。

ロナウジーニョは「小さなロナウド」の意味で、入団当時、代表に既にロナウドがいたのでこの愛称で呼ばれている。また、ガウーショとはカウボーイを意味し、ブラジル国内では南部地域、とりわけリオグランデ・ド・スル州とサンタカタリナ州出身の男性(気質)を強調する際に用いられる語である。(戦争の時にカウボーイが活躍したため) ブラジルでは、ロナウドをFenômeno(フェノーメノ、天変地異、転じて「怪物」)、ロナウジーニョをGaúcho(ガウーショ、ロナウジーニョ・ガウーショ)と呼び区別している。 2006年には、ゴマブックスから人生を叙事的につづった『ロナウジーニョ The Smiling Champion』が出版された。

ロナウジーニョの代理人である実兄のロベルトは、1999年にアシスという登録名でコンサドーレ札幌に在籍していた。


■ロナウジーニョの来歴

2004年、2005年と2年連続でFIFA選出の世界最優秀選手に選ばれた。また2005年には欧州最優秀選手(バロンドール)にも選ばれ、ペレが選んだ偉大なサッカー選手100人『FIFA 100』、2006年にUEFAクラブ・フットボール年間最優秀選手に選出される。

試合中随所に見せる美麗なボール捌きは、見るものを魅了する。また、ペレ・ジーコ・リバウドなど、その世代で一番上手く、奇跡を起こせる選手に継承されているセレソン(ブラジル代表)の10番に必要な能力をすべて継承している選手である。

ブラジルA代表デビューは1999年6月26日のラトビア戦。その直後に開催されたコパ・アメリカのメンバーにも選ばれ、対ベネズエラ戦の技ありゴールはブラジル国民に希望を与えた。1999年のFIFAコンフェデレーションズカップと2000年シドニーオリンピック予選で得点王を獲得。2002年の日韓W杯では、ロナウド・リバウドと共に強力な攻撃ユニットを組み(3人のイニシャルから「3R」と呼ばれた)、優勝に貢献した。2006年のドイツW杯ではクラブでの活躍やバロンドールを獲得していることなどから「ロナウジーニョのための大会」とまで言われ注目を集めたが、結局1ゴールも挙げないままチームは準々決勝でフランスに敗れてしまい戦犯扱にされた。このことにブラジル国民は怒り、ブラジルにあるロナウジーニョの像が燃やされる事態にもなってしまった。

クラブでは、2003年にフランスのパリ・サンジェルマンからリバウドの後釜となり得る人材を探していたFCバルセロナに移籍。レアル・マドリードやマンチェスター・ユナイテッドとも交渉を行っていた。セレソンの先輩であるリバウドも背負った10番を身にまとい、ローテーションを取り入れたチームの中でも中心として君臨し、ソシオ(バルセロナを支える熱心なファン)たちに愛されている。彼がチームの攻撃に与える影響は大きく、彼がいる時といない時では周りの選手の動きも違う。

ナイキのCMに出演しており、主にその華麗なボール捌きを題材にしている。特に、ボールを一度も落とす事なく4連続でクロスバーに命中させた映像は、実際のプレーなのか合成映像なのか論争となった(現在も真偽は不明であるが、本人は合成であることを否定している。また、ナイキジャパンのスタッフで現地にいた人間がおり、『あれは実際にやったプレー』と証言している)。また日本の企業・コニカミノルタのオフィス用コピー機のCMモデルとして出演し、その時にはGKを含む11人の選手を1人で全員こなす役柄を演じた。また2006年放送の同社CMではキックターゲット(かつて筋肉番付シリーズで放送されたゲーム)のパネルに書かれた数々の妙技に挑戦するものが放送された。その中にはドラムを叩きながらヘディングをしたり、ダチョウの卵を使ってのリフティング、更にはボールを触れることなくシュートするものまで登場している。

2006年にはナイキとの縁で、ファンであるマイケル・ジョーダンと対談した。スーパースターであるロナウジーニョも、さすがに憧れのジョーダンの前では子供のように目を輝かせていたのは印象的であった。


■リバウドとロナウジーニョ

ロナウジーニョにとってロナウドは特別な存在であることは良く知られているが、リバウドへの思いはあまり知られていない。とある雑誌で、FCバルセロナ加入時に「リバウドやロナウドのような僕のアイドルのあとを追う事が出来るのはとても嬉しい」と言っていた。「リバウドの後釜を任されるのはとても光栄だ」と親しい友にもらしたこともあるようだ。

リバウドの退団に伴いバルセロナはその後釜の獲得に急ぎ、最初に10番の後釜として獲得したのがファン・ロマン・リケルメだった。リケルメは2006年W杯アルゼンチン代表の主軸を担う才能あるプレーヤーであるが、当時の彼はプレーにムラがあり、力不足であった。リバウドはジダンらと並び称されるほどの世界最高のプレーヤーである。その選手が抜けた穴は大きく、チームの成績も下降していった。そんな中バルサが目をつけたのが、当時パリ・サンジェルマンに所属していたロナウジーニョだった。

スペインはフランスと違いポルトガル語が通じる上に生活習慣にも共通点が多く、元々ロナウジーニョはスペインに行きたいという願望があったようだ。FCバルセロナがブラジル代表とFCバルセロナで10番を背負った自分の憧れであるリバウドというプレーヤーの後釜として自分を指名してくれた事が、本人にとって何よりも嬉しかったのである。その証拠として、バルセロナより金銭的に良い条件を出していたマンチェスター・ユナイテッドからのオファーを蹴ってまでバルサにこだわった。おそらくリバウドは、ロナウジーニョにとって「10番」としての手本であったのかもしれない。


■ロナウジーニョのプレースタイル

2004年ドリブルでのステップを刻むリズムにおいて、観客を楽しませることが出来る選手。他の一流選手と比較しても、ボールタッチが異常なまでに多い。このことが相手選手がボールを取りに来たのを見てからかわせる秘訣と思われる。左足の精度と守備の意識は高くはない。

所属クラブであるバルセロナでのプレイエリアは主に攻撃的なポジションの中央や左サイドでプレイする。左サイドが多く、いわゆるウイングのポジションではあるがサイドを駆け上がるのではなく外から中のゴールに向かってプレイをすることが多い。そこからドリブル、シュート、そして空いたスペースへ味方にパスを送る。06/07年のUEFAチャンピオンズリーグでの2ndレグにおけるリバプールとの試合の時はセンターのポジションでプレーしていたが、これはおそらく奇をてらった監督の采配によるものだと思われる。

かつてパリSGに所属していたときはMFなのかFWなのかわからないようなポジショニングをとっていてそれが論議の的となったこともある。彼のセンター付近でのプレーは激しいチャージに晒されることも多く、活躍できないこともしばしばだった。セレソンにおいてウイング的なポジショニングに慣れることによって更に才能が開花することとなった。

バルセロナ移籍当初は中央で使われることも多かったが左サイド起用がメインとなっている。

幼少時代は線の細さを指摘されていたようだが、ブラジル時代のクラブチームの方針で筋力トレーニングを重ねフィジカルの強さも手に入れている。2005/2006年のUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦(チェルシーVSバルセロナ)では屈強で有名なチェルシーのジョン・テリーのショルダーチャージを弾き飛ばしたこともある。

子供の頃はフットサルをしていて、ナイキ社のCMでは子供の頃の彼のフットサルをする映像が使われている。

▽ドリブル
持ち前のスピードとボディバランス、絶妙なボールタッチのフェイント、独特のステップにより相手を一瞬で抜き去る。中でも足首を使った“Elastico(エラシコ)”と呼ばれるフェイントが得意技の一つ。スポーツ工学の専門家が検証を行ったところ、横に移動しながらでも重心が身体の中心からほとんどずれていないことが確認された。

▽パス
敵ディフェンスを引き付け、持ち前の多彩なパス(スルーパス、ノールックパス、ヒールパス等)で周りの選手の能力も引き出す。DFにとって、近づけばドリブルで抜かれ、離れれば短いモーションでパスやシュートを放つため、やっかいであり、これが彼自身の能力を底上げしている。味方選手の二列目、三列目の選手の飛び出しを使いこなせるなど視野の広さと30m程度のミドルパスでも正確に出せる技術を持つ。

試合中に味方からのパスを背中で他のFWに落としてアシストを記録し、周りを驚かせたことも。インタビューでそのプレーについて質問をされた時、本人は狙ってやったと笑顔で答えていた。同時に練習でやっていないことは本番でもやはりできないとコメントを残している。

▽シュート
テクニックが確かで、局面に応じてコースをつくシュート、パワー重視のシュートを使い分ける。中でも右足を振りぬいて巻き込むようにカーブをかけたシュートを好む。膝下だけを振りぬくようなシュートだけにモーションが少ないといえる。ミドルシュートは得意ではない。

チームではFKとPKのキッカーを任されている。

中でも印象深いのは2004/2005年のUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦(バルセロナVSチェルシー)でゴール前のシュートチャンスにまず腰だけを3,4回ほど回しディフェンスを惑わし、そして右足だけを振りぬきゴールを決めた。GKのチェフは反応ができなかった。

▽メンタル
大変な負けず嫌いで、遊び(ミニゲームやサッカーのTVゲーム)などでも手を抜かず勝者のメンタリティーも持ち合わせる。日本代表だった小野伸二曰く、世界一サッカーを楽しんでいる男である。本人もサッカーを楽しむことを忘れないためには笑顔が一番だと述べ、試合中もたびたび笑顔をちらつかせながらプレーしている。これほど笑顔を絶やさずプレーする選手は、かつてのセレソンの英雄ガリンシャとロナウジーニョをおいて他にいないだろう。


■ロナウジーニョのタイトル

▽代表
1997年 FIFA U-17ワールドカップ - 優勝
1999年 コパ・アメリカ - 優勝
2002年 FIFAワールドカップ - 優勝
2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ - 優勝

▽クラブ
2005-2006 FCバルセロナ UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝 
2005-2006 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝 
2004-2005 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝
2005-2006 FCバルセロナ スペイン・スーパーカップ - 優勝

▽個人
1997年 FIFA U-17ワールドカップ得点王
1999年 FIFAコンフェデレーションズカップ得点王
1999年 FIFAコンフェデレーションズカップMVP
2000年 シドニー五輪南米予選得点王
2004年・2005年 FIFA最優秀選手賞
2005年・2006年 FIFPro最優秀選手賞
2005年 バロンドール
2006年 FIFAクラブワールドカップでブロンズボール賞


■ロナウジーニョの所属チーム

▽1998年-2001年 - グレミオ(ブラジル)
1998年 5試合 0得点
1999年 19試合 6得点
2000年 11試合 8得点
2001年 0試合 0得点

▽2001年-2003年 - パリ・サンジェルマン(フランス)
2001年/2002年 28試合 9得点
2002年/2003年 27試合 8得点

▽2003年- 現 在 - バルセロナ(スペイン)
2003年/2004年 32試合 15得点
2004年/2005年 35試合 9得点
2005年/2006年 29試合 17得点



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