サッカーの用語・戦術と技術・ルールの掲載
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洪 明甫(ホン・ミョンボ、1969年2月12日-)は大韓民国の元サッカー選手。ポジションはDH・センターバック。

韓国代表史上最多キャップ数を誇り、ワールドカップにも1990年イタリア大会から4回出場している。「アジアのリベロ」と呼ばれ、90年代のサッカー界を代表するディフェンダーの一人であった。2004年3月にペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人に選出されている。

Jリーグではベルマーレ平塚、柏レイソルに在籍。2000年は外国籍選手ながら柏レイソルのキャプテンを任され、ナビスコカップ優勝に貢献した。

2005年10月、韓国代表監督に就任したアドフォカートのもと、代表コーチに就任。現在のピム監督の下でもコーチを務めている。


■洪 明甫の経歴

高麗大学校 (韓国)
浦項アトムス・浦項スティーラース (韓国) 1992年-1997年
ベルマーレ平塚 (日本) 1997年5月-1998年
柏レイソル (日本) 1999年-2001年
浦項スティーラース (韓国) 2002年
ロサンゼルス・ギャラクシー (USA) 2003年-2004年11月 (引退)


■洪 明甫の個人タイトル

2000年 - Jリーグベストイレブン


■洪 明甫のエピソード

▽背番号
韓国代表、ベルマーレ、レイソルなど渡り歩いてきたクラブで常に20をつけていた(ベルマーレ入団時は途中入団だったため37)。特にレイソルでは洪の退団後20をつけるDFはポスト・ミョンボとして期待されると言う、特別な意味を持つようになっている(但し2006年は在日コリアンのFW李忠成がつけている)。

▽米国での登録名
MSLのLAギャラクシー在籍時の登録名は「BO」であった。リーグ戦でも選手名として背中に「BO」と書かれたユニフォームを着用してプレーした。これは彼の名前の英語表記「Hong Myung Bo」のうち「Bo」がファミリーネームであると勘違いされた事務手続上のミスであると思われる(言うまでもなく「Hong」が正当である)。しかし彼自身はこれを不快と捉えていないようであり、2003年に母国韓国で開催された親善大会にギャラクシーの一員として参加した際、リーグ戦と同様に「BO」のネームの入ったユニフォームを着用しプレーしている。また引退後、サッカーを通じた慈善活動として「BO基金」を設立したほか、米国・カリフォルニア州に開設したサッカースクールの名称も「BOサッカーアカデミー」である。

▽その他
また、日本サッカー協会の若手育成システムやJリーグの仕組み等に好意を抱いており、大韓サッカー協会は日本のサッカー協会から多くのことを学ぶ必要があるとの見解も示している。

自身の出来事を高校の選手権時代から振り返り、また当時在籍していたJリーグで学んだ事を韓国のスポーツ新聞で連載した『洪明甫のJリーグ短信』を綴った『LIBERO 洪明甫自伝』が日本では集英社から出版されている。また2002 FIFAワールドカップ開催前、漫画家のむつ利之が彼をモデルにして描いた漫画が講談社発行、週刊少年マガジンの読切り漫画で掲載。後にKBS第2テレビのバラエティー番組、スポンジにも本人証言で紹介された。



Wikipediaより出典 - Article - History - License:GFDL
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